Merry Christmas
わたしがサンタクロースに頼んだプレゼントは全てではないけれど、いくつかは覚えている。
大きな犬のぬいぐるみ。
この子はヘアカットをしたり、毛糸でリードと首輪を作ったりして、わたしなりに可愛がっていた。
自分の名前とよく似た名前をつけて、子どものわたしなりに可愛がっていたけれど、今思えば伸びない毛を切られたり、首に紐を巻かれて引きずり倒されたのだから結構可哀想だったかもしれない。
一番記憶に残ってるのは、切り株の中にいろんな動物がたくさん入ってるやつ。
リスやビーバーなんかの森の動物たちが当時のわたしの身長くらいある大きな切り株の中に30匹くらい詰め込まれた、最高のぬいぐるみ。
クリスマスの晩はいつも枕元に靴下を置いて眠った。
ゲームソフトみたいに小さなものならそこにいれてくれていたけれど、大きなぬいぐるみなんて入るわけない。
だから、上に置いてくれればいいと思ってそのときは眠った。
けれど、翌朝目覚めたわたしが靴下を確かめると何かが入っている。
取り出してみると、中からふくろうのぬいぐるみが出てきて。わたしは泣いた。
ふくろうのぬいぐるみなんて、頼んでない!サンタクロースがプレゼントを間違えた!と朝から大泣きして家族を起こした。
母がなだめるように、よく探してごらんと言ってきて。泣きながら他の部屋も探すとトイザラスの袋があって。
その中にはちゃんと、お願いした切り株があった。ふくろうはその中の一匹だったようで、わたしはようやく泣き止んだ。
そのときのことは、未だに家族全員がよく覚えていて。泣いたよねえ、と母に笑われる。
あの切り株の中にはふくろうは二羽いて、あの切り株のぬいぐるみたちはもう手放してしまったけれど、あのときの靴下に入っていた子は今でも手元にある。
大人になったわたしの元にサンタクロースはもう来ないけど、あのふくろうを見るたびにサンタクロースとまた会えたような気持ちになるのだ。
今なら思う。
本当のプレゼントは、プレゼントそのものではなくて。
クリスマスのあたたかい思い出や楽しい記憶だと。
子どもの頃の幸せな思い出。
それこそがサンタクロースからのプレゼント。
たとえ、サンタクロースが実在しなくてもサンタクロースというクリスマスの魔法は確かに存在している。
だって、サンタクロースを信じていないとクリスマスの魔法にはかからない。
プレゼントをもらえるのは、信じている子だけ。つまり、いい子だけ。
サンタクロースを信じている子どもはいい子であろうとするものだから。
信じてさえいれば、大人になっても魔法はかけられる。
むしろ、大人にならないと気づけない魔法。
だって、子どもの頃の思い出なんて大人になって時間が経ってからでないと思い出さない。
わたしたちは、大人になってもう一度プレゼントを受け取る。
子どもの頃、愛された記憶を。クリスマスの思い出を。思い出すたびにあたたかくて優しい幸せな気持ちを受け取るのだ。きっと。