Guardian Angel Tea
今宵のお茶は『Guardian Angel Tea』
守護天使のお茶。
このお茶も残り僅か。
街はすっかりクリスマスムードで、街行く人々は色めき立って、プレゼントやケーキの箱を下げて歩いている。
本来、クリスマスはイエス様の生誕を祝う日。
わたしは幼稚園がキリスト教だったから、クリスマスという日についてはある程度知っている。
幼稚園では週に何度か、お御堂へ行って目を閉じて祈りを捧げて園長先生のお話を聞く時間が設けられていた。
園長先生は幼稚園児にもわかるように、聖書のお話をいくつか話して聞かせてくれた。
幼稚園の頃のことなのに、今でもそのお話は覚えていて。
たとえば、祈るときに手を合わせる。
そのとき手のひらの中に神様がいらっしゃるから、優しく握るんだよ、とお話してくださった。
あの幼稚園での教えは、宗教的な面はあまり強くなくて。
キリスト教を強制させるとか、怖い一面もなく、ただ人として大切なことを聖書の教えに沿って教えていた、という感じだ。
たとえば、自分が嫌なことは人にしない、とかそういう単純で簡単なこと。
当時覚えたお祈りは今でも諳んじて言えるし、聖歌もひとつだけ覚えている。
それに、あのお御堂は好きだった。
静かで、洗練された、神様のいる場所。
あの場所に入ると心が研ぎ澄まされるような、そんな不思議な感覚をあの頃のわたしは感じていた。
何よりステンドグラスは美しかったし、そこから差し込む光はもっと美しかった。
あの幼稚園では、年長になるとクリスマスの時期に聖劇をやる。
多分、わたしはあの時はじめて何かを演じる、ということを覚えたのだと思う。
わたしの役は聖母マリアを導く天使のひとりだった。
真っ白いワンピースに天使の輪、それに純白の羽を背負って、手には星を持ってくるくると踊った。
わたしは天使という役をいただいたことをとても誇りに思っていて、一生懸命演じた。
あの幼稚園での思い出はとても素敵なものばかりで、今でも覚えている記憶がいくつもある。
卒園式には、クラスにひとり代表が選ばれて舞台に上がって園長先生から聖書をいただくのだけれど、わたしはその代表に選ばれた。
当時からバレエを習っていたわたしは、誰よりも姿勢がよかったから、という理由だった。
姿勢の良さを褒められて代表に選ばれたことが、あの頃のわたしにはとても嬉しくて誇らしかった。
クリスマスにはそんな、幼稚園での記憶を思い出す。
古い記憶ほど忘れていってしまうものなのに、あの頃を未だによく思い出せるのは、それだけ忘れたくない記憶だからなのだろうな。